人格税
人格に税金がかかるようになったのは、わりと最近のことである。
正確には、人格容量税という。
政府の説明によれば、現代人は人格を持ちすぎているらしかった。
会社用人格。
家庭用人格。
SNS人格。
恋愛人格。
匿名掲示板人格。
動画配信用人格。
こうした人格群を維持するには、膨大な情報資源と社会的エネルギーが必要であり、国家財政を圧迫しているというのである。
だから課税する。
政府はそう決めた。
最初に聞いた時、私は冗談だと思った。
だが翌月には本当に国税庁から通知が来た。
『あなたは現在、七人格を保有しています』
『基礎控除を超過しているため追加納税が必要です』
ふざけるなと思った。
私は三十五歳の平凡な会社員である。
都内の広告代理店勤務。
特に多重人格でもない。
だが通知によれば、私には七種類の人格が存在しているらしい。
しかも、そのうち二人格は「使用頻度が低い遊休人格」と判定されていた。
遊休人格とは何だ。
使っていない人格を持っていると税率が上がるのだそうだ。
意味が分からない。
私は会社帰りに税務相談センターへ寄った。
窓口には疲れた顔の男が座っている。
「人格税の件なんですが」
「はいはい」
男は慣れた調子で書類を受け取った。
「七人格ですね。平均より少ない方ですよ」
「いや、そもそも人格って何なんですか」
男は面倒そうに眼鏡を押し上げた。
「社会的役割に応じて形成される自己モデルです」
「分かりません」
「簡単に言えば、相手によって別人みたいになるでしょう」
「それは普通でしょう」
「普通だから課税するんです」
男は言った。
「人数が多いので」
私は頭が痛くなった。
政府によれば、日本全国の人格総量はこの十年で三倍以上に増加しているらしい。
SNSと動画配信文化が原因だという。
人々は場面ごとに人格を切り替え、演じ、加工し、編集する。
結果、国家全体の人格維持コストが限界を超えた。
「維持コストって何です」
「現実ですよ」
男は当然みたいに言った。
「人格が増えると現実が重くなるんです」
私は帰宅してからも納得できなかった。
テレビでは人格節約キャンペーンをやっている。
『人格は計画的に』
『不要人格を整理しましょう』
人気女優が笑顔で言っていた。
お前が一番人格多そうだろうと思った。
翌週、会社で人格監査が行われた。
会議室へ呼ばれる。
人事部の女がタブレットを見ながら言った。
「あなた、業務用人格の効率が低下していますね」
「はあ」
「家庭用人格との統合を推奨します」
「統合?」
「最近、多いんですよ。人格ミニマリスト」
彼女は笑った。
「人格を減らすと税金も安いですし」
私は嫌な予感がした。
「具体的には?」
「会社でも家庭でも同じ人間になるんです」
絶対嫌だった。
会社での私は、愛想笑いと適度な無責任さで構成されている。
家庭でそれをやったら妻に殺される。
「統合しない場合、来年度から超過税率になります」
人事部の女は事務的に言った。
「あと、趣味人格も整理対象ですね」
私はギクリとした。
私は密かにSF小説を書いている。
もちろん新人賞に応募したりはしていない。
夜中にこっそり書いているだけだ。
だが税務AIは、それも人格として認識していた。
「創作人格は維持コストが高いので」
女は続けた。
「最近は規制対象なんです」
帰り道、私は新宿駅で人格整理広告を見た。
『あなたの中の無駄、減らしませんか?』
『人格統合で快適ライフ』
『月々の人格税を最大70%削減!』
狂ってる。
だが周囲の人々は平然としていた。
むしろ流行しているらしい。
人格を減らすことが。
数日後、大学時代の友人である三上と飲んだ。
彼は昔、演劇をやっていた。
人格の数だけなら日本代表クラスだろう。
だが会ってみると、妙にぼんやりしていた。
「お前、大丈夫か」
「うん?」
三上は笑った。
「最近、人格減らしたから楽なんだよ」
「減らした?」
「四つ消した」
私はビールを吹きそうになった。
「消すってどうやって」
「人格外来があるんだよ」
彼は枝豆を食べながら言う。
「不要な人格を休眠処理するの」
「危なくないのか」
「別に」
だが三上の目は妙に空虚だった。
昔の彼はもっと騒がしかった。
酔うと突然シェイクスピアを朗読したりした。
今はただ静かだった。
「楽だぞ」
彼は繰り返した。
「迷わなくなる」
その言葉が妙に引っかかった。
迷わなくなる。
人格とは、つまり矛盾のことなのではないか。
会社での自分。
家庭での自分。
本当は小説家になりたかった自分。
全部が食い違っている。
だから苦しい。
だが同時に、それが人間なのではないか。
翌月、人格税はさらに引き上げられた。
ニュースでは専門家が解説している。
「現代社会は人格過密状態にあります」
「不要人格を整理しなければ、社会インフラが維持できません」
意味不明だった。
だが実際、最近おかしな現象が増えていた。
駅で突然、自分が誰か分からなくなる人間。
SNS人格と現実人格が衝突し、精神崩壊する若者。
人格容量オーバーによる記憶漏出。
ニュースキャスターは真顔で言った。
「政府は人格削減を国民的課題としています」
その夜、私は夢を見た。
巨大な倉庫だった。
中に人間が並んでいる。
全員、同じ顔だった。
同じ服。
同じ笑い方。
同じ声。
倉庫の天井には巨大な横断幕があった。
『人格最適化完了』
私は汗だくで目を覚ました。
翌朝、妻が言った。
「あなた最近、変よ」
「そうか?」
「人格税のこと気にしすぎ」
私は黙った。
妻は味噌汁を飲みながら続ける。
「別に減らせばいいじゃない」
「簡単に言うな」
「だって、そんなに沢山いらないでしょ」
私は反論しかけて止まった。
本当にいらないのだろうか。
例えば、小説を書く人格。
金にもならない。
誰にも見せていない。
税金だけ増える。
合理的に考えれば削除対象だ。
だが、その人格を消したら、私は何になるのだろう。
数日後、会社で重大発表があった。
「来年度より人格統一勤務制度を導入します」
部長が嬉しそうに言った。
「社員の人格負荷を軽減し、税務効率を向上させます」
要するに、会社でも家庭でも同じ人格で生きろということである。
会議室は拍手に包まれた。
私は戦慄した。
みんな本気なのだ。
その帰り、私は偶然、人格外来の前を通った。
白い建物だった。
入り口にはこう書かれている。
『あなたらしさ、整理しませんか』
私は気づくと中へ入っていた。
受付は静かだった。
壁には笑顔の患者写真。
『人格削減成功!』
『人生がシンプルになりました!』
診察室へ通される。
医者は若い男だった。
「どの人格を削減したいですか?」
私は答えられなかった。
医者は慣れた調子で言う。
「創作人格は人気ですよ。コスト高いですし」
私は突然、猛烈に腹が立った。
「人気って何だよ」
医者は少し驚いた。
「いや、皆さん生活がありますから」
「生活のために人格削るのか」
「普通ですよ」
その瞬間、私は理解した。
人格税の本当の目的を。
これは節税政策ではない。
人間を単純化するための制度なのだ。
矛盾しない人間。
迷わない人間。
管理しやすい人間。
私は立ち上がった。
「やめます」
医者は肩をすくめた。
「そのうち皆、来ますよ」
外へ出る。
夕方だった。
街には同じ顔のサラリーマンが歩いている。
同じ色のスーツ。
同じ速度。
同じ表情。
私は急に怖くなった。
帰宅すると、妻がいなかった。
テーブルにメモだけある。
『人格整理入院します』
『しばらく一人になりたいです』
私は呆然とした。
冷蔵庫の音だけが響いている。
その夜、私は久しぶりに小説を書いた。
夢中で書いた。
宇宙人の話。
人格を食べる怪物の話。
書きながら、自分の中に無数の声があるのを感じた。
臆病な声。
偉そうな声。
泣きたい声。
子供みたいな声。
全部、私だった。
全部、不要なのかもしれない。
だが、全部ないと私は成立しない。
翌朝、ニュースが流れた。
政府は人格税のさらなる強化を発表。
人格上限を四人格へ制限。
超過人格は強制整理対象。
街頭インタビューで若者が答えていた。
「別に困りませんよ」
「人格多いと疲れるし」
私はテレビを消した。
静かな部屋だった。
私は机へ向かった。
そして小説を書き続けた。
税金が増えてもいいと思った。
無駄な人格が増えてもいい。
人間とは、本来、無駄なものだからだ。
窓の外では、同じ顔の人々が整然と歩いている。
私はその光景を見ながら、少しだけ安心していた。
まだ私は、ちゃんと矛盾している。